帰国後の生活、そしてうつ病の併発
無事にアメリカでの任期を終え帰国し、引き続き海外営業に配属となった私は、前任者からの引き継ぎ期間ゼロという異常な状態でスタートすることになりました。
同じ部署の後輩はいたのですが、まだ彼の仕事歴が浅いため、二人三脚で四苦八苦の日々が続きました。アシスタントの女性は育休明けで、仕事より家庭を優先していたため、ただでさえ人手不足なところ、彼女は戦力としてカウントできない状況でした。
新しい仕事に忙殺されるされる日々が続き、デパスに頼る頻度が増していきました。
数ヶ月は不眠と無気力、次第に無表情になり、只々仕事をこなしていました。
すると、自分の感情が抑えられず、泣き出すことや、怒り出すこともあり、ある時、やはり何かがおかしいと自分で思い、以前に通った心療内科に再度相談に行くことにしました。
先生に説明するにも考えがまとまらず、何をどこから話して良いのかわかりません。
しかし、先生に何とか自分の状況を伝えたところ、サインバルタを試してみますかと言われました。
結局、パニック障害に加えて、うつ病も発症してしまったようでした。
ただ、その時は、自分がうつ病になるなんてありえないという気持ちでした。
そのため、サインバルタの服用経験のある方の体験談をネット等で調べて見て行くうちに、副作用が怖いし、服用経験のある方は自分よりももっと酷い状態にあるから薬を飲んでいるんだと勝手に決めつけ、処方されたサインバルタは飲まずに過ごしました。
そして、別のクリニックへ行って、デパスを処方してもらい、それで凌ぐことを続けていました。
今考えると、きちんとあの時サインバルタを飲んで、治療をスタートさせていれば長引くことなく、今頃治っていたかもしれないと後悔しています。
むしろ、正常な判断ができないくらいに精神的に病んでいたのかも知れません。
つづく。。。
アメリカ生活2
今日は前回のアメリカ生活の続きをお話しします。
あくまで、ブログのテーマに沿った部分に焦点を当てておりますのでご了承下さい。
文化や習慣が違うところでの生活は、良い面、悪い面の両方を体験できるのですが、仕事で重責を担い、プライベートでは妻子を支える柱として、頑張っていたため、知らず知らずのうちに疲労とストレスが蓄積されていきました。
そのため、日本から十分と思われる量のデパスを持ってきていたのですが、次第に飛行機に乗る時以外にも使用するようになっていきました。
寝つきが悪い時に飲んだり、気分が落ち込んだ時に飲んだりです。
アメリカでは、当時、日本よりもはるかに豊富な種類の睡眠導入剤(スリープエイド)が薬局で販売されており、価格も安く手に入れる事ができました。
デパスの使用量を減らすために寝付きの悪い時はそれらを使用していたのですが、効果は強いはずなのに、気分が悪くなったり、頭がフラフラしたりするだけで、寝付きが良くなることはほとんどありませんでした。
残念ながら、自分に合う薬に出会う事ができなかったのだと思います。
そのため、デパスの使用量が増えていくことになりました。
しかし、幸いにも、赴任中一時帰国するチャンスがあり、そのときに日本で手に入れることでなんとか凌いでいました。
当時は依存しているという感覚はなかったのですが、気がつけば、デパスに頼る生活になっていたのです。
つづく。。。
アメリカ生活
今日は、私のアメリカ生活について少しお話ししたいと思います。
あくまで、ブログのテーマに沿った部分に焦点を当てておりますのでご了承下さい。
アメリカ生活は5年ほどだったのですが、重要なポジションでの赴任だったため、私にとってはストレスの方が多かったように思います。
アメリカは自由の国、世界一の経済大国、先進国、情報発信国などと言われますが、確かにそうかも知れません。
しかし、完璧な人間がいないのと同様に、完璧な国というのもありません。
それぞれ正の側面、負の側面を持ち合わせています。
良かったと思うところは、人の顔色を伺わない、いろんな意味で積極的な人が集まっているところです。
幼少期からの教育に違いがあるため、自分の意見をもって、相手に積極的に伝えることが日本人より得意です。
遠慮してとか、目立ちたくないからとかで、あまり自分の意見を言わなかったり、自己主張をしない日本人と大きな差があると感じました。
また、自分がしたい事は他人の目を気にし過ぎることなく、することが出来てしまう方が多いようです。
どこに恥ずかしさを感じるのかということが違う様です。他人の目より、自分が幸せかどうかに重点が置かれているように感じました。
例えば、服装にしても、日本であれば時代遅れだなと思うようなものでも、本人が幸せならそれでいいんじゃないの?という感覚です。誰も気にしていません。
このような環境で生活をしていると、ある意味他人のことは気にならなくなり、自由にやりたいようにできるというのが良かったところの1つです。
反面、日本の場合は感覚的ではありますが、基本的に真面目で人間的な平均点はアメリカより高いと感じました。
性善説をベースにシステムが出来ていることが多いのも、そのような日本人気質が関係しているからだと思います。
一方、アメリカは、両極端だと思います。誤解を恐れずに言えば、優れた人間はずば抜けていますが、できない人間は滅茶苦茶レベルが低い。そのため平均点は日本より下と感じました。
具体的には、アメリカ企業であれば、個人の業務内容の範囲が日本よりも明確に決められていることが多いのですが、大手企業でも、何をやっているのか分からない人がいたり、AmazonやIKEAのデリバリーは、時間的にも、品質的にもまともに届けば超ラッキーというレベルです。角当てやパッケージの損傷は高確率で起こりますし、中身までダメージのあるものも、経験上20%くらいはありました。
日本のようなきめ細やかさなども期待はできません。全てではありませんが、全体的に粗いと感じます。
住む国が違うわけですから、当然なのですが、さまざまな場面で、日本では当たり前だったことが当たり前ではなくなるという、 いわゆるゲームチェンジが起こるわけです。
つづく。。。
デパスの効果は凄い
こうして、私のデパス生活が始まったわけですが、デパスって、甘いんですよね。
小さくて飲みやすいし。低容量なのに効果も実感できる。
素晴らしい薬が世にはあるのだなと感心しました。
私の場合は、飛行機に搭乗する時に限って飲んでいたため、癖になることもないし、依存性があると言われているけど、そんなの私には関係ない。と思っていました。
ところが、仕事で転機が訪れ、私はアメリカへ駐在することになってしまったのです。
これが約10年前のことです。
アメリカへ駐在って、ロングフライトに耐えられるのかな?同じようにデパスを処方してもらえるのかな?アメリカ国内での出張も多いため、現地で大量に処方してもらうことってできるのかな?
様々な不安が頭の中をグルグルと巡りました。
とりあえず、駐在の前に、出来るだけ多く日本で入手して行こうと思い、90錠処方してもらい、駐在後大事に大事に飲んでいました。
しかし、最初はあまり気づかなかったのですが、ある程度意識が緩慢なるというか、注意力が鈍くなるというか、車の運転時にはよろしくないのです。
フライトで移動後、現地で空港から客先までレンタカーを使用しなければならない場合があり、また、夜間の運転ということもあるわけですが、時々車線を維持するのが難しくなる時がありました。
幸い事故を起こすことはありませんでしたが(いつも気合いで乗り切っていました。)、ヒヤリとする場面は何度かありました。
今考えると、無茶な事をしていたと思います。
つづく。。。
自分がパニック障害かも知れない2
前回は、自分の過去を振り返り、どこから自分の変化が始まったのかの整理でした。
しばらくは、海外出張のフライトの直前にビールの一気飲みをする事でパニックを抑えていました。
しかし、中国、韓国、台湾など、近場の出張の場合、到着してからすぐに商談という事がありますので、ビールで酔った状態では都合が悪いのです。
ただ量が少ないと効果はありませんし、これには、どうしたら良いのか悩みました。
しかし、出張を繰り返すうちに、やはり薬か何かで症状を抑えなければ仕事にならないということで、ネットで色々調べた挙句に、近くの心療内科に相談することに決めました。
ここまでたどり着くのに、2-3年は経過していました。
まさか、自分がパニック障害で治療が必要になるとは考えもしなかったからです。
そして、状況と症状を先生に説明したところ、デパス0.5mgを処方してくれるということになり、これがデパスをはじめて知ったきっかけとなりました。
パニックが起こりそうな時に1錠飲む。私の場合は搭乗の30分前に1錠飲むことで不安から解放され、安心して出張に行く事ができるようになりました。
その後も、別のクリニックに変わりましたが、定期的にデパスを処方してもらう生活が始まったのです。
つづく。。。
自分がパニック障害かも知れない
今思えば、約18年前からその兆候はありました。
私は当時海外営業に一所懸命な頃で、絶対に失敗できない案件があり、上司からとんでもないプレッシャーをかけられていました。
そのため、ある日、慣れているはずの飛行機に乗る際に、発作をおこし、息苦しさを感じ、いくら息をしても窒息しそうな感覚に襲われました。
CAさんにお願いし、おしぼりを何枚かもらい、顔を覆って落ち着こうと必死でした。
離陸前には、もどうなってもいいから、シートベルトを外して、降りたい!そんな気持ちでいっぱいでした。
だんだん過呼吸のようになって、もう無理と感じ、シートベルトを慌てて外し、CAさんに降ります!と詰め寄りましたが、誰も遅れることなく搭乗した為、丁度扉が締められた時でした。
そして、これから離陸しますので着席して下さいと冷たく言われてしまいました。
水を飲んだり、関係のないことを考えたりして、死にものぐるいで耐え、なんとか現地に到着する事ができました。
海外での商談自体はなんとか無事に終える事ができましたが、帰路のフライトでは、往路の感覚を思い出し、どうしようと悩んでいました。
そこで思いついたのが、飛行機に乗る直前にビールを一気飲み。ある程度、意識をぼんやりとさせて乗るという方法でした。
これは自分にはなかなか良い方法だったらしく、しばらくの海外出張はそれで凌いでいました。
つづく。。。